■ ナムコの歩み-1 ■
1950年~1970年代
ナムコが、百貨店屋上に設置した木馬2台から誕生した1955年、日本で初めてトランジスタが開発され、トランジスタ・ラジオが売り出されました。そして60年代、カラーテレビが普及し、東京オリンピックが開催され、70年代の大阪万国博では日本列島が熱狂しました。ビデオゲームの大ヒットは、新しいエンターテインメイントを予感させるものでした。
['50 Fifties]
1955
●有限会社中村製作所を東京・池上に設立。
横浜の百貨店屋上に木馬2台を設置し、
アミューズメント事業を開始(資本金30万円)。1959
●株式会社中村製作所に組織変更(資本金500万円)。
['60 Sixties]
1963
●東京・日本橋三越本店の屋上に「ロードウエイライド」を設置、
その後三越各店に展開。
1966
●東京・大田区に本社工場を設置し、開発・製造部門を拡充。
ディズニーキャラクターの乗り物をライセンス製造。
['70 Seventies]
1972
●正式の社名変更に先だってNAMCOブランドを使用開始。1974
●アタリ・ジャパン(株)を米国アタリ社から取得し、
ビデオゲーム機事業に進出。
1977
●シュータウェイ1977
●株式会社ナムコに社名変更(資本金2億4000万円)。●ナムコ・エンタープライゼズ・エイシアLTD.を香港に設立。
1978
●ナムコ・アメリカINC.を設立。●オリジナル業務用ビデオゲーム機第1号「ジービー」を発売。
1979
●業務用ビデオゲーム「ギャラクシアン」を発表。
['80 Eighties /1980年代を見る]
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